サイトトップへ 体験記トップへ mail to Jimbo 2004.10.08.


アテネパラを終えて
          〜日本代表チームに必要なもの     .

 まず、カナダのコーチであるマイク・フログリー氏の言葉(記事)を読んで下さい。

■“世界最強軍団”を率いる名伯楽の教え

 アテネパラリンピック最終日の最終競技となった車いすバスケットボール男子決勝。カナダは、“車いすバスケ界のジョーダン”パトリック・アンダーソンを柱に、「コート上ですべてのプレヤーがすべてのことをできる」というフログリー監督の教えどおりの全員バスケットで豪州に70-53で快勝。1次リーグから8戦全勝で、シドニーに続く連覇を達成した。

“マイク”の愛称で親しまれるフログリー監督は、日本通で知られる。来日経験は5回。米イリノイ大学の監督を務めるかたわら、2年前から世界最高峰の技術を伝えるべく、日本でキャンプを行っている。その教え子は、日本の新・大黒柱として期待される藤本怜央ら多数。勝つための極意を惜しみなく伝えてきた。

「日本チームにはもっと政府や会社、スポンサーのサポートが必要。それがあって始めてトレーニングの時間が確保できる」とフログリー監督は力説する。車いすバスケの先進地・カナダには、セミプロチームが存在し、政府からバックアップを受けている。競争の激しさが全体のレベルを底上げする。

■チーム全員が同じゴールに向かうこと

 日本男子はシドニーで9位。アテネでは8位に順位を上げたが、“4強”の壁に準決勝進出を阻まれた。フログリー監督は日本に足りないのは「経験」だという。「できるだけ大きな大会に出場すること。“大きな犬に勝つには、その犬と戦わなければならない”」。しかし、欧州や米国なら地続きで隣国と「国際試合」が組めるが、島国の日本では予算的にそれがままならないのが現状だ。

 五輪の有力選手に対して日本オリンピック委員会(JOC)が支給する強化費は一人当たり年間200万円以上にもなるが、パラリンピック選手が日本パラリンピック委員会(JPC)などから受ける金額はその十分の一に満たない。車いすバスケ男子日本代表の小川智樹ヘッドコーチは、「もっと頻繁に選手が集まって練習ができないと強化は厳しいし、体育館を確保するだけでも困難。代表チームでも合宿でコートを使用するのに6か月前から一般の体育館を予約している状況」と環境改善を訴える。

 日本をよく知るフログリー監督は、厳しい環境の中、日本は着実に前進していると評価する。「日本はいいチームになるための条件に近づいている。チームの弱点が減り、チームのためにだれもが犠牲を払える。それにチーム全員が同じ目標を分かち合っている」。目標を「ゴール」と表現したフログリー監督の言うとおり、アテネで日本は、すべての試合でベンチも一丸でゴールを目指した。その背中には、代表に選ばれなかったサブのメンバーの思いも背負っていた。

※YAHOO Japan Sports × suportsnaviの記事から抜粋して引用
URL http://athens.yahoo.co.jp/para/column/sportsnavi/at00002693.html

 
 正直なところ、Jはアテネパラを終えてから、今大会での様々な出来事を通して本当に複雑な思いの中にいました。そして、「体験記」自体も書くかどうか?迷っていました。 やっぱり何を書いても「敗者の言い訳!」って、思われるに違いないからネ(苦笑) でも、マイクの記事を読んで書くことに決めました。それは、マイクの意見に対して全く同感であり、彼が日本の現状や改善案を示唆してくれた事で、J自身の考えにも自信と確信を持てたから。そして、「“そこ”が改善されれば、日本の将来は明るい!」と感じたからです。 だから、特に今回は“そこ”について書いてみたいと思います。

<予選を戦って>
 まず、予選初戦のアメリカ戦をベンチスタートでした。 ベンチからコート上で苦戦するチームメイトを応援しながら蘇ったのは、今年3月にオーストラリアで開催された、パラ予選決勝のオージー戦。 何が言いたいかと言えば、全員が浮き足立っているし自分を見失っていた。過去一度も対戦したことがない相手チームのプレヤーに戸惑っているのが見ていて分った。日本の選手は練習で養ってきた素晴らしい技術を持っているのに、それを充分に活かせていない状況だった。 そして、Jは同時に「この試合で俺の出番が絶対にやって来る!」って確信してベンチで準備してました。 確か2Q途中でコーチから声が掛かってコートへ。 でも約10分間出場も無得点、合計2本のシュートを落とした時点で交代。 自分としては、調子も悪くなかったし特に大きなミスを犯した訳でもなかったから、「まだまだこれから!」って感じだったけど、逆に目立った結果も出せてなかったから仕方ないと思った。 本当に悔しかったけど、それからは気持ちを切り替えて応援に励んだ。 でも、それ以降はコートに出ることが無いままゲームセット。 

 この試合で、Jを含め全選手が長い間国際試合から遠ざかっていたことを、改めて痛感させられたんじゃないかな。 もちろん、そんなことは大会前から分かり切っている事なんだけど、現状の日本では時間的にも経済的にも厳しい中での活動で、どうしてもクリア出来なかった課題なのです。 また、小川コーチは「国際経験の無さを悔いるより、手の内を知られず大会に望めると考えよう!」って、いつも前向きに話していました。 本当は誰だって国際経験の不足が問題だって分ってるんだよね。 でもコーチやスタッフは、そのような厳しい環境下でも前向きに最善の努力を尽くしてくれた。 また、選手だって前向きに出来ることを、一生懸命やってきたと言う自負はあったはず。

 2試合目のドイツ戦で与えられてプレータイムは1分強。そして、続くイラン戦ではついにコートに出ることはなく、本当に辛い時間だった。 4年前のシドニーパラでは、調子が悪くなっても使われ続けて辛い思いをして経験があるんだけど、今回は全く逆の状況に苦しむことになったなんてね(苦笑) でも、どっちの気持ちも体験できたことは、ある意味幸せなのかも知れない。 また、今まで頑張ってきた日本チームのメンバーが、持ち味を出しつつ必死に戦っても歯が立たない事実には圧倒された。 負けた試合は全てが気持ちよいぐらいの完敗だったように思う。 そうそう、ある晩にキャプテンの大島から「正直に言うけど、神保モチベーション下がっているよね?」って問われた。 自分としては「違う!」と思っていても、周囲にそう感じられていると知って動揺した。 また、自由時間にインターネットゾーンで、EメールやJs−Pageを開いては、応援してくれている方々の気持ちを知って、自分の中で激しい葛藤があった。 特に大会の前半は、ネガティブの“デビル”とポジティブの“エンジェル”が、常に対決してたよ(笑)  でも最終的には、「代表チームの一員として最後まで自分の役割を真っ当しよう!」って、思えるようになった。 そして、何とか全うできたんじゃないかとも思っている。


 <世界動き〜カナダ>
 90年代前半、当時カナダ代表のクラス1プレヤーだったマイク・フログリー氏(現カナダ、イリノイ大コーチ)が、車椅子バスケで優れたコーチの存在が無いことを痛感し、自身がコーチ業に転身を果たす。アメリカに渡って大学で車椅子バスケのトレーニング方法やコーチング論を次々に確立。 当時ウィスコンシン大学のコーチとして、トロイ・サックスをはじめ多くの若い選手の才能を開花させる。また、カナダからも多くの選手を留学生として受け入れ、選手の発掘や育成に力を注ぐ。 さらに、カナダは一種のスポーツ年金制度もあり、優秀な成績を残した選手に対して支給されている。ほかにもトップを目指して活動する選手に対する支援の手段があるとか。

 <世界の動き〜オーストラリア>
 96年のアトランタ大会で、それまで日本と変わらない順位を争っていたオーストラリアが、超劇的な逆転劇でアメリカやイギリスを下して優勝を飾った。 一番はトロイ・サックスという素晴らしいスターの誕生が大きい。しかし、彼は当時マイク・フログリー氏がヘッドコーチを務めるウィスコンシン大学へ留学をして、車椅子バスケを基礎から学んだ選手だった。また、オージーチームはパラの数ヶ月前からヨーロッパ遠征で、各国の強豪チームと転戦しながら国際経験を積んでいたらしい。 優勝という結果を残した背景には、それだけの裏づけもあった。 その後、オージーの選手は次々にアメリカへ留学したり、イタリアやドイツといったプロチームのある国に渡っています。

 <世界の動き〜アメリカ>
 現在のアメリカは、ヨーロッパのように純粋なプロチームは存在しないけど、小学生以下の“キッズ”カテゴリから、中学・高校の“ジュニア”カテゴリが確立されている。また、幾つもの大学には車椅子バスケチームが存在し、マイク氏をはじめとする優れた指導者の元、車椅子バスケを学ぶ環境がある。さらに、Jが学んだレイクショア財団のように障害者スポーツを、全面的に支援する団体や企業もあるし、多くのクラブチームには活動費をサポートする地元の企業などが多数ある。もちろん、ヨーロッパでプロとしてプレーしている選手も少なくない。

 <世界の動き〜ヨーロッパ>
 ヨーロッパは陸続きとなっていることが大きなメリット。ヨーロッパ選手権をはじめ、国をまたいで国際試合が容易に出来るため、どこのチームも国際経験が豊富で強豪揃い。さらに、ドイツやイタリア、スペインのチームにもプロ選手が存在するし、世界中の優れた選手をリクルートするスカウトマンの存在もあるとか。 

 <ちょっと余談>
今大会を控えた7月。 Jはアテネに向けてモチベーションを上げるため、単身でアメリカに渡りルーズベルトカップの観戦&ビデオ撮影をしてきました。その時に、各国の選手から言われた言葉です。「日本は何故参加していない?もうアテネを捨てているのか?」、「国際経験をしないで本戦に望むなんて無茶だ!」、「お気の毒に・・・」。 でも、Jは胸を張って言ったよ。「俺たちは毎月日本でキャンプを重ねて、着実に強くなっている!」って。 でも、内心ではチームでルーズベルトカップに参加できなかったことが本当に残念に思った。そして、一度も国際大会を経験しないことを、不安に感じた自分に対して言い聞かせた。 いつも小川コーチが言うように、「日本は手の内を見せず、アテネの本番でドンデン返しをする!」って。 でも、最終的に結果だけを見れば、いつもの“指定席“だった。でも、最終的な結果(勝敗)には決して現われない、素晴らしい部分もたくさんあった。 それを少しでも知ってもらえたら、イヤ、知ろうとしてもらえるだけでも嬉しい。 マイクの記事を読んだ時、その部分を評価してくれている事が分ったから凄く嬉しかったし、「やっぱり彼は世界一評価されるコーチなんだ!」って思った。

  今後、車椅子バスケの人気は障害者だけに留まらず、もっと多くの世界や人に周知される人気スポーツに成長することが想像される。そして、今よりもいっそう競技レベルが上がるに違いない。 世界での動きはプロ化やオリンピックとの統合案など、急速に発展しようとする中、日本の現状はあまりにも遅れていると言わざるを得ない。 アジアでも中国が国を挙げて応援する体制がとられようとしているし、今後日本は今のようにアジアですら勝ち続けることができるのか? マイクが言うように、日本は強いチームになる条件を少しずつクリアしながら成長していることは確か。 でも、それは選手の犠牲による部分が大きいし限界もある。 もちろん、連盟や役員・スタッフだって頑張っていることは百も承知。だけど、もっともっと大胆な環境改善や新しい道を開拓する必要があるはず。

 選手である自分が、このようなことを書くことは“甘え!”とか、逆に“誹謗・中傷“などと捉えられるかも知れない。 でも、本当にもっと経済的な支援や競技環境の整備、情報収集などが必要不可欠なのです。 これらが改善されなければ、日本が今以上に強くなることは難しい。そして、世界に追いつくことも不可能な話になってしまう。 Jは自分自身が12年間も日本代表として活動し、アメリカ留学で世界の背景を知れたからこそ、冷静に問題分析ができてると思う。 多分・・・・、選手生命が長くないであろうJにとっては、あまり関係ない話かも知れない。でも、車椅子バスケを愛する一人の選手&先輩として思う。これから全日本を背負っていく若手選手に同じ道を歩ませるのは酷だって。 今の選手が良い環境下で多くの国際経験を積んで行けば、必ず結果を出せるチームに成長すると思うからこそ、本当にこの辺で何とかしないといけないことを訴えたい。 

 アテネを終えた今この瞬間、まだ今後自分が進むべき道や自分自身に出来ることは見えてないけど、これからゆっくり考えて行こうと思います。ただ、車椅子バスケットボールキャンプ実行委員会の仕事や、福岡Limitzでの活動は続くだろうし、それらを通して若い選手の育成や底上げに、少しでも貢献でもできれば良いなーと思う。 えっ、今後の具体的なこと?? バスケは大好きだからずっと続けるさ! だけど、団体競技の楽しさ、難しさや苦しさもイヤっていうほど経験したから・・・(苦笑) 過去に参加した4度のパラは、それぞれ全てに特別な思い出がある。 そして12年という長い間、トップレベルでプレーできたことを本当幸せに思う。 

 最後に、これまで応援してくださった全ての皆さんに対して、とびきりのありがとう!を言いたい。また、今回の代表チームでは満足いくような貢献が出来なかったけど、一緒にプレーできたチームメイトや、支えて下さったスタッフにも感謝。 今回、アテネパラの“楽しい体験記“は書けなかったけど、これが今大会を通して一番強く感じたJの本当の気持ち。 その他の楽しい思い出については、機会があったら紹介させて下さい。 でも、デジカメだけはたくさん撮ってきたんで、後ほどアルバムあたりに「画で見るアテネパラ」を、更新したいと思います。 秘蔵の写真?も多数あるので、ご期待下さい!!


 追伸
 最初に掲載した体験記(10月8日掲)には、文中に事実と違う部分や不適切な表現があったと思われるため、10月12日に一部を削除・修正して再掲載しました。誠に申し訳ありません。



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