サイトトップへ 体験記トップへ mail to Jimbo 2004.1.15.


毎日新聞の記事掲載
          〜熱い記者さんとの出会い

  さーて、2004年第一発目の体験記は、1月4日付けの毎日新聞に掲載された、Jについての記事を紹介したいと思います。 読んでくれる人によっては、「何で新聞の記事が体験記なの?」って思う人もいるかな? まあ、別の枠を作って掲載しても良かったんだけど、ちょっと書きたいこともあったから、あえて体験記の場所で紹介することにしてみました。 まずは新聞の記事を読んでよ。


平成16年1月4日付け 毎日新聞 社会面(30頁)掲載記事


 ◇俺はもう逃げない

 ゴムの焦げたにおいがする。車椅子のタイヤがコートを「キュッ」と鳴らす。バスケットボールの競技用車椅子にブレーキはない。素手で車輪を握って回転を止めるたび、ふくらはぎより太い腕の筋肉が浮き上がる。  昨年暮れ。大阪市内のスポーツセンターに、秋のアテネ・パラリンピックを目指す全日本男子チームの代表候補20人が集まった。ゴール下の密集で神保康広さん(33)がリングにはじかれたボールをつかんだ。187センチの長身。75キロの握力はリンゴを握りつぶせる。 00年から3年半渡米し、日本人として初めてNWBA(全米車椅子バスケット協会)のトップチーム入りを果たした。それでも、「JAPAN」のユニホームが約束されたわけではない。

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 「すぐカタログを送ります」。携帯電話の相手に頭を下げる。神保さんは車椅子メーカー「オーエックスエンジニアリング」(千葉市)の九州支店長。福岡県飯塚市で一人暮らしをしている。 各地の販売店を車で回り、夜は地元チームの練習に飛び入り参加する。若手の指導を兼ねた営業で、バスケット用車椅子の売り上げを前年の3倍に伸ばした。 幼いころ、プロ野球選手にあこがれた。中学時代、内申点で生徒を抑えつける教師に反発した。テストの答案用紙を丸めて投げ捨て、学校に行かなくなった。 バイクのスピードメーターの針が140キロを指した時、ブロック塀が目前に迫っていた。接触して投げ出され、地面にたたきつけられた。下半身が動かない。「俺(おれ)の足がねえよ」。大声で叫んでいた。16歳の冬だった。 脊椎(せきつい)脱臼骨折。自力で歩くことはもうできなかった。リハビリを拒否して外出の誘いを断るうち、たくさんいた友達は3人に減った。18歳で車椅子バスケットを初めて見た。強豪チームの練習に参加したら、ベテラン選手が軽く出したパスを顔面で受けた。失われた2年間を取り戻そうと、のめりこんだ。

 21歳の時に知り合った2歳下の彼女が「やっちゃんはすごいんだから」と励ましてくれた。所属チームのマネジャーにもなった。25歳で結婚した。練習や遠征が続く。独りで家に残された彼女は寂しがった。けんかばかりになった。理解してたんじゃないのか。2年後、彼女は泣きながら去っていった。それでもどこかで見ているはずだ。 振り返ればずっと中途半端だったと思う。アメリカに行きたかったが、学歴も資金も、勤め先の市役所を辞める勇気もなかった。「できない理由ばかり並べて逃げるなよ」。親友の一言が背中を押した。 渡米後、食事が合わず、半年で6キロやせた。毎晩、独りで野菜炒めを作って食べた。コーチの言葉を忘れない。「絶対正しいと言い切れるプレーの選択はない。ベターな答えを探すんだ」。シュートが入らなくても声がかかった。  「ナイストライ」

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 「スピード重視でお願いします」。神保さんは東京の若い選手に新しい車椅子作りを頼まれた。「じゃあ今のより3センチ低くしよう」

 体とプレースタイルに合わせて、寸法を1センチ単位で変える。腕の見せどころだ。「何色にする?」。神保さんが聞く。チームメートも寄ってきた。「ピンクにしろよ」。「でも、赤が目立つか」  4年に1度のパラリンピック。今度が最後のチャンスかもしれない。 昨秋、見知らぬアドレスからメールが届いた。「あなたが活躍していてよかった」  あのひとからの、6年ぶりの便りだった。 【木戸哲】



 この記事が掲載された後、数人の友人知人に「あの記事を読んで、本人はどう感じてる?」って質問された。Jが「なんで?」って質問し返すと、「あら筋だけ書いている感じがした・・・」とか、「気持ちが入っていない記事って気がする」とか言われました。もちろん逆に「あんな短い文で、良くあれだけの事を表現してるよね!」とか褒めてくれる人もいた。 で、J自身の気持ちを素直に書けば、“非常に満足している!”かな。 ただ、最初の見出しである「俺はもう逃げない」という言葉には多少異議アリ。 たぶん渡米する前(4,5年前)の記事ならば異議は無いと思うんだけど、今のJにはマッチしない言葉だよね!? なぜなら、今の自分は何からも逃げてないからさ!(笑)

 ところで、この話しがあったのは全日本の合宿を間近に控えた12月の中旬。Jが勤務するOXの本社を経由して取材の依頼が来ました。記者の名は木戸さんと言って、電話での声が人一倍大きな方でした。なーんて、Jも人のこと言えないくらいデカイ声で喋るんですけどねー(笑) で、木戸さんは東京から大阪まで合宿を見学にきたいと言いました。 しかも、フェリーで大阪に向うという予定を告げると、早朝に南港(大阪のフェリー埠頭)まで、Jを迎えに来てくれると言うのです。でもね、フェリー埠頭なんて何にも無い所だから、公共の乗り物で来るには結構大変な場所なんですよ。 待ち合わせをするだけなら大阪市内とか、合宿先の体育館でもいいのに、「ちょっと変わった人かなー?」なんて思いましたよ(笑)

 初めて会った木戸さんの印象は、絵に描いたようなサラリーマンでした(笑) それにしても木戸さんとは、初めて会ってからずっと喋りっぱなしでした。車の中でもそうだし、マックにも行って朝食しながら話し尽くめでしょ。 また、木戸さんはJ本やHPもチェックしてくれたらしく、初めて会った方にも関わらずJの色んな事を知ってるんですよ! ほんとオドロキ! なんて驚くことでは無いかも知れないけど、何だか変な感じでした。 それから、ストーカーのごとく?携帯電話に幾度もの連絡が入りました(笑) 本当にシツコイくらい色んな事を聞かれたし、とにかく「ずいぶんと熱心な記者さんだなー」って。 それから「仕事姿を見てみたい」というリクエストに応じる形で、年末に東京で採寸した仕事現場にも来て頂きました。 本当にJの色んな事を知ろうとしてくれていたし、色んな部分を見ようとしてくれたのが木戸さんです。

 だからこそ、今回の記事は“満足“なのです。 新聞の限られたスペースと文字数の中で、木戸さんは「少しでもJのことを伝えたい」という思いで書いてくれたのが上の記事。 たぶん、あの記事だけでは理解できないことや、知り得ないことってあると思う。 でもJは実際に木戸さんと会って、たくさんの話をしたからこそ分かる。 何より木戸さんのような熱心な記者さんに「神保の記事を書きたい」って、思ってもらえたことが光栄だし、実際に書いてもらえたことが嬉しい。

 余談ですが、この前色々とお世話になった木戸さんにお礼のメールを送ったんだけど、その返事が返ってきました。

「頑張ってください!」 という大きく簡潔な一言でした(笑)
木戸さんありがとうございました!



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