サイトトップへ 体験記トップへ mail to Jimbo 2002.03.18.


2001〜2002シーズン終了
          〜最終戦の報告とシーズンを振り返って

  みなさんこんにちは。前回の更新から2週間が経過してしました。カキコ板には「週1回以上を目標」と書いたのですが、やはり厳しいですね。特にこの2週間はシーズン終盤の大事な時期だったし、何せ遠い所への遠征が続いて大変だった。でも実は先週の前半に更新できるように原稿を書いたんですよ。熱く語った原稿を! しかし、保存の手前でパソコンがフリーズしてしまいオジャンでした。結構時間と気合いを掛けて書いただけにガックリで、しばらく気合抜けしてたんですが、最後の力を振り絞って?書いています。

 まず3月1日から出かけたカリフォルニア州のサンノゼ遠征ですが。ここで報告したいのは2点のみです。一つ目はシーズンランキング2位のゴールデンステート・ウォーリアーズに5度目の挑戦で勝利をしたことです。彼らとの試合は初日も接戦の末8点差で敗退したのでしたが、翌日の試合では残り8秒で同点の状態から神保が決勝ゴールのランニングシュートをミス!!リバウンドを拾ったチームメイトが、フリーの選手にパスして、試合終了のブザーと同時にゴールが決まり、2点差での勝利でした。ヒーローは見方の選手に持っていかれましたが、この試合は今年一番の高ゲームだったかも知れません。

 二つ目は、半端じゃなく遠かったことです。バーミンガムからアトランタを経由してサンノゼまでは約8時間半。しかも、その間に中部・東部・西部時間と3つの異なった時間帯を経験したことです。それでも行きは昼過ぎに出て夜に着いたので、まだ良かった。帰りはもっとひどくて夜10時過ぎのフライトでサンノゼを出て、バーミンガムについたのは翌日の朝8時過ぎでした。実際には8時間程度なのですが、時差で2時間進んでいる関係で8時過ぎとなるわけです。とにかくゴールデンステートに勝った事と、長いフライトに疲れたことがサンノゼ遠征の思い出です。まあ、それでも夜間や最終日の午後は、サンフランシスコやサンタクルスビーチなどの観光名所にも足を運び、一応の旅行気分を味わったのですが、丁度カメラの電池が無くて、きれいな景色などの写真を撮り損ねたことは残念です・・・。

 翌週末は、シーズンランキングを元にタスキがけをした、最終トーナメントが全米各地で開催されたのです。日本の場合は全国各地のブロック予選を勝ち抜いた20チーム前後のチームが一同に会して“日本選手権大会”を戦いますが、アメリカでは各地区の上位から更に予選で4チームまで絞るのです。そしてD1及びD2の各4チームだけが“全米選手権”への切符を手に出来るのです。その代わり、大変名誉なことになりますし、選手の扱いも普段とは全く違います。例えばホテルもハイアットなどの高級ホテル。また、開催地主催のウエルカムパーティから始まり、観客席付きのメインコート1面のみで試合を展開。更には、全試合終了後はホテルに場所を移し、選手やスタッフはスーツやドレスに着替えて、バンケット方式のディナーパーティーとなります。また、その席で表彰式が行われるのですが、神保は昨年D2でこの大会に出場して優勝したので、本当にラッキーな経験をすることが出来たのです。

 話がずれましたが、この最終トーナメントでストームが乗り込んだのは、ノースキャロライナ州のシャーロットでした。ここへはチームバスで約7時間の旅でした。まず、1ラウンドは下位決戦でシャーロット・バズとの試合でした。この試合に勝てば次は大御所、便米ランキング1位のミルウォーキーと、全米選手権を掛けて戦うことが出来るのです。シャーロットのエース選手は、試合序盤から3Pシュートをバンバン決めて、前半は終始リードをされる展開でした。ストームもシューターの選手が踏ん張り、常時10点差くらいでゲームは4Qに突入しました。なかなか差が縮まらずに苦しんでいる状況を一変したのは、若干17歳の若きエース、ジェーミー選手の活躍でした。彼の3Pシュート2本を含む連続5ゴールで、一気に同点、逆転に成功したのでした。その後も接戦を演じて最後までもつれたのですが、残り8秒で“事件”が勃発しました

 相手チームが試合時間を止めるために、ファールゲームに出てきたのですが、ある選手がジェーミー選手に汚いファール行為をしたことで、もみ合いになったのです。しかも相手の選手がストームのスコットに向けてボールを投げつけたのですが、見事顔面にヒットしたせいで、乱闘状態となりました。スコットは口だけで決して手は出さなかったのですが、相手の選手からはパンチを受けて出血。会場は一時騒然としました。結局審判の判断でゲームは終了し、ストームの勝利となったのですが、何とも後味の悪い試合となってしまいました。また、この乱闘のお陰でスコットは次の大事な試合で出場停止処分となり、大きな代償を払うことになったのです。日本は審判に比べてアメリカの審判は非常に威厳があり厳しいのも特徴です。例えば選手が審判のジャッジに対して「マジかよー!」とでも言えば、すぐにテクニカルファールを取られます。また、今回のような乱闘でも、非常に厳しい措置を取るのです。

 次に挑んだのはミルウォーキー戦ですが、この試合は1Qで試合が決まりました。あっという間にダブルスコアーにされてしまいました。特にオールコートプレスを引かれると、高さもスピードも上のミルウォーキー相手では、シュートまで行くことが出来ないこともしばしば。神保も途中で集中力が切れ掛かったのですが、最後の試合になるかもしれないことと、ゲーム中に相手選手のウィル選手が、戦いを挑むようなチョッカイを出してくれたので切れずにプレーできました。ただ、後半ストームは全員参加型の“お情け“バスケになったので、神保は4Q途中からベンチで見学でした。結局60−118のダブルスコアで敗退し、ストームのシーズンが終了したのです。それと同時に神保もストームを去る日ことになったのです。アメリカはシーズンが終れば基本的に選手とチームの関係はなくなります。また来シーズン前の選手登録締切日までに”書類“を交わしたチームでプレーをすることになるのです。殆どの選手は基本的に同じチームとの更新ですが、神保は先に「断り」を入れてあるのでした。

 最後に今シーズンのD1初参戦を振り返っての感想なのですが、正直言ってアメリカ人の底力を思い知った感じはします。特にジュニアの活動が非常に素晴らしい結果をもたらしてることは確かでしょう。前にも書いたUTAで活躍する十代の選手については、あまりに大きな衝撃でした。神保は実際アメリカでのバスケを体験してみて、高さの無い日本でも勝つ方法はあると実感しました。しかし、それにはつくづく乗り越えるべき壁の多さも痛感しています。自分の年齢や環境のせいにはしたくないのですが、基礎をしっかり学ばずに育ってきたバックグラウンドや腰痛などの故障を抱えている現時点での状態では、一個人として限界感すら感じています。正直言って日本でプレーしているときに、自分の限界を感じたことはありませんでした。しかし、アメリカでの体験は自分を成長させてくれたことと同時に、大きな限界の壁を見せつけられたようにも思います。このような時、人間はどのような選択をしていくべきなのだろうか? 

 野茂選手がメジャー挑戦した翌年に出版している自伝にはこう書いてありました。「多くの選手(打者)はプロに入ると、自分の限界を知って、学生時代のスラッガースタイルを変え、バントや犠打に徹してでも、プロで生き残れるよう試行錯誤している」。しかし、彼は「自分のスタイルにポリシーを持っている」と。そして、彼の目から観て、「その精神を貫いているのがイチロー選手」とも書いています。それは、自分のバッティングに自信を持って、バットを振りぬいてくるスイングをしているからだそうです。だから彼は、どの投手から見ても非常に怖い存在なのだそうです。そして、昨シーズンはメジャーで大活躍をした・・・。

 話は脱線ばかりしていますが、神保は今、この限界ラインに対しどのように対処すべきかを悩んでおります。プレースタイルを変えてみるのか?全く同じ状態のままで少しずつ上り続けるか?はたまたバスケをやめて新たな目標に向かってチャレンジするのも一つの手段か??ただ、風呂屋で活動するのに心配は要らないと思います。若い選手もたくさんいるし、他にも出来ることや、しなければいけないことはたくさんあると思うから。でも世界進出(アメリカ活動や全日本)は・・・・?かな。この2年の米国生活は自分の人生において、確かにプラスになったと思うのだけど、大きな試練を抱えることになりました。これからしばらくの間は、身体のケアと今後のことについてじっくり考えていこうと思います。

追伸
 これから帰国をしたら体験記はどうなるのか?と、心配してくれている人がいるかなー?(笑) でも心配はいりません。多分更新回数はぐっと減ると思いますが、続けていきたいと思います。例えば「第2弾ここが変だよアメリカ人」や、移籍問題に関わる途中経過、その他アメリカ生活での思い出などを、覚えている範囲でどんどん書いていこうと思います。もちろん今後の進路についても書きたいと思います。 でも、実は次回の内容は決まっているのですよ。きっと帰国前にはもう一度くらい更新できると思います。


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