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Hシドニーパラリンピックを終えて(2000年11月掲載)


 パラリンピック出場のためシドニーの選手村に入ったのは10月14日。シドニーは初夏ですが、朝晩の気温差が大きいため、多くの選手が体調を崩し、本部の医務室ではドーピングにかからないカゼの薬が底をつくというハプニングもあったようです。
 私は今回が3度目のパラリンピックでしたが、選手村の環境は過去最高です。まず、部屋は分譲前の新築一戸建てやマンションで、快適な住み心地。24時間ランドリーサービスが受けられるなど、選手は競技に集中できるよう配慮がなされていたのです。
 食事も大満足です。白米のごはん、味噌汁やお新香が常時用意されていて、ほとんどの選手は村内の食堂だけでストレスなく食事がとれていたようです。これは過去の国際大会では考えられない状況です。
 大会が始まり柔道や水泳陣に「メダルが出た」という吉報を耳にしながら、わがバスケチームは世界ランクで格上の国々を苦しめる好ゲームを展開しました。しかし勝ちきれず、予選リーグを1勝4敗と大きく負け越し、B組5位という結果に終わってしまいました。
 決勝トーナメント進出を逃したため、順位決定戦に回りましたが、最後の9・10位決定戦ではメキシコを相手に、残り20秒で逆転勝利という劇的な展開に、会場も大いに沸きました。
 結局、アメリカやオランダといった強豪を下したカナダが見事初優勝に輝きました。私の友人でカナダのエース、パトリック選手が大活躍して優勝に貢献。彼とは毎日、選手村の休憩所で、バスケの話をたくさんできたことも大きな収穫です。
 日本選手は精一杯頑張ったと思います。それでも勝てない理由が今の私にはわかりませんが、戦った各国の選手やコーチたちが強くなった日本をたたえると同時に「日本の選手は、ジンボのようにもっと世界に出て来るべきだ」と言っていたのが印象に残りました。もしかするとこれこそが勝利への”カギ”なのかも知れません。
 また、今大会で感心したのは多くのボランティアの存在です。日本からも、主婦や学生、定年退職したリタイヤ組などいろいろな人が来ていて、村内の食堂やランドリーで働いていました。数人の日本人ボランティアと話す機会があったのですが、「無償だけど、今世紀最後のスポーツの祭典に関われて光栄です!」と語っていた食堂の学生さんの話しを聞いて、多くの人の手助けを得て競技に専念できる幸福と感謝の気持を強く感じました。
 閉会式では満員の観客席に沿って場内を4周も回り、老若男女、多くの人たちと握手やタッチを交わすなど、ほんの一瞬の出会いに熱いものを感じてしまいました。これまで出場した3回のパラリンピックの中で、最も人間同士の関わりを感じられた大会だったと思います。



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