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@ 自己紹介(2000年2月掲載)


 私は16歳の時に起こしたオートバイの事故で車いすの生活になりました。事故後しばらくは、自分が歩けないという現実を受け入れることができず、苦悩の日々を送っていましたが、たまたま知人に紹介された車いすバスケットボールを通して、障害者でも”やればできる”ということを学び、いつしかその魅力にはまっていました。そして、バスケに打ち込めたことが後々の社会復帰への大きな足がかりとなったのです。
 その後職業訓練校、民間企業を経て千葉市職員となり、現在もバスケットはリハビリの枠を越えた競技スポーツとして続けています。過去に日本代表選手として92年バルセロナ、96年アトランタのパラリンピックにも参加して、世界中の選手と対戦、交流する機会を持ちました。それは障害者スポーツに関する情報や、各国の障害者を取り巻く環境についての情報を得る機会にもなりました。
 そんな中で、世界(特にスポーツ先進国のアメリカ)と日本との違いを色々な面で感じるようになったのです。たとえば日本では、まだリハビリの枠を越えていない障害者スポーツも、アメリカでは競技スポーツとして、選手の指導方法やケアなどについて技術的、医学的、精神面など色々な角度から研究や開発が行われています。また、車いすバスケも企業の宣伝活動に使われる媒体として、地位を確立しているということです。
 これらの情報を耳にするたびに私の中で、アメリカに渡り障害者スポーツを学び、その知識と情報を広く日本に紹介していきたいという大きな”夢”が膨らんでいきました。そして、今回ここアラバマ州にあるレイクショア財団という、障害者を対象としたスポーツセンターで”夢”への実現に向けてその第一歩を踏み出しました。
 留学には多くの問題があり、市役所を退職するということは大きなリスクも伴う人生の分岐点でもあったと思います。とりわけ金銭的な問題が悩みだったのですが、ダスキンの企業集団が支援してくれたことは、留学計画が大きく前進できたものと感謝しております。
 次回からはこの留学を通して日本との違いやセンターでの出来事に焦点を置いて紹介していきます。



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